08:静かに孤独と対峙すること

あるセッションにて・・・・

彼らは涙をこらえながら、私にこんな問いかけをする。

「誰も理解してくれなくて独りぼっちで辛い。なぜ私は生まれてきたんでしょうか?」

「こんなに辛いのに、生きている意味ってあるんでしょうか?」

そう問われるたびに、私も自らに問いかける。

「なぜ私は生まれてきたのか?」

「生きている意味はあるのか?」

「まるで彼らは私ではないか?」

・・・・・・人はそれぞれみな孤独なのだ。

ふと、『ジェイン・エア』(*)の冒頭の言葉が蘇る。

「どうして私はひとに好かれないの?ひとに気に入られようと努めてもなぜそれが報われないの?」

幼くして両親を亡くしたジェインは、伯父の家に引き取られたものの、ついに寄宿学校に預けられる。彼女を嘘つきだと学校に告げ口をした伯母に対して彼女はきっぱり言い放つ。「わたしは嘘つきじゃありません。もし嘘つきだというなら、あなたのこと、好きだって言うはずだわ。(中略)世界中のだれよりもあなたが嫌いです」と。

しかし、実際のところ、彼女は誰よりも愛情を求めており、おそらく聡明な彼女なら周囲に気に入られるよう、もっと要領よくふるまうこともできたはずだ。けれども、自分の気持ちに嘘をつきたくないが故に、周囲から生意気な娘として疎まれてしまう。

学校を卒業した彼女は、ある邸宅で家庭教師として働くことになり、やがて主人のロチェスターと惹かれあい、婚約する。しかし、ある事情から、幸せを目前にした彼女は、またもや地位や安定を捨てて、寄る辺なき身となり・・・。

ジェインは言う。

「私の性格の中には変化を求める欲求がひそんでいる。ときには痛いほど、それがわたしを突き動かす。(中略)人間は行動すべきものだ。その目標が見つからなければ自ら作り出せばよい」

たとえば、ジェインを媒体として

愛を求め、認められないことに苛立っていた少女が、やがて大人へと成長し、いつしか自分の足で歩き、自分の目で真実を見、そして自分の心で愛したいという強い意思を貫くプロセスを私たちは知ることができる。この本が書かれた160年前は、彼女のように自立した女性の描写は画期的だったという。しかし、現代においても、誰かに頼ることなく彼女のように主体的に自分を生かしていくことは、同じように難しいのではないかと思う。

もの思いに戻ろう・・・・・・

折に触れ、彼らは私に教えてくれる。

自分に気づき、自分を貫こうとする時、人は最終的にみな孤独なのだ、と。

“自分である”ことを守ることは“孤独”とコインの裏表であることを。

孤独とは、寂しいものだ。

しかしその寂しさとひきかえに、人は静かに考える時間を手に入れる。

自分自身になって自分を見つめる時間を手に入れる。

「私は何故生まれてきたのか?」

それは、自らの想像・創造の翼を広げる時間を手に入れることだ。

「私はどう生きていくのか?」

誰しもが避けて通ることができない孤独。

完全に自分を分かることも、分かってもらうこともあり得ないという孤独。

生きることの意味も、最後には自分自身が感じるしかないという孤独。

その絶対的な孤独さを自らのもとして受け入れる時、人は孤独を越えて、タフになる。

そして本当に人とつながり、孤独から脱する道を踏み出しはじめるように思う。

孤独、それは私自身のテーマでもある。

押し潰されぬよう、彼らと共に生き残っていこう・・・。

(M)

(*)『ジェイン・エア』 C・ブロンテ著 小尾茉佐訳 光文社文庫

2011.01.05