20:居心地のよい場所 ・・・私の場合・・・

あの暑かった夏の名残は足早に去って、空気がひんやりする季節になった。
この季節になると、暑さで足が遠のいて人もまばらだった近くの公園は、またにぎやかさを取り戻す。
たくさんの木々や池、そしてそこで楽しむ人たち、様々なパフォーマンスが繰り広げられ、手作りの小さなお店が並び、皆、思い思いの時間を過ごす。

私はよくその公園に足を運ぶ。
「よかったらどうぞ」「座っていく?」と言われている・・・ような気がする。
私にとっては、とても心地のよいなぜか安心できる場所である。


沢山の笑顔がある。
ちょっとした発見がある。
思いがけない出会いがある。
なんだかエネルギーをもらえる。
疲れた時、少し元気になる。
ため息がでるとき、ちょっぴり気持ちが楽になって大丈夫だと思える。
落ち着かない時、少し自分を取り戻せる気がする。

「確かにここにいる私」を感じる、そんな不思議な場所。

日常臨床語辞典(※)という本に、「いる(居る)」、「居場所」ということについて、こんなふうに書いてある。

「いる」ということは、基本的には、主体が腰を据え、安定しているということがあって初めて成り立つものなのだろう。そして「居ても立っても居られない」と言うような落ち着きを失った状態では何も手に着かないように、主体が機能し、何かをするためには、それ以前にまず、主体が安定して「いる」ことが達成されていなければならない。・・・「いる」ためには、それを可能にする環境が必要である。・・・物理的な環境や心理社会的環境によって「居場所」が保証されて、「いる」ことは可能になるのである。・・・「いる」ことが可能になるとき、主体はその環境が安定して「居場所」であり続けていくことを信頼して、そこに安んずることができているだろう。その信頼感があってこそ「いる」ことは成り立つ。

なるほど・・・
これにそって考えてみると、この公園という環境は、落ち着きを失った状態の私が、再び機能するために、安定して“いる”という状態になることを助けてくれているということになるだろう。そしてそこには、それがあり続けること、それを信頼し期待できることで、安心していられるっていうことになる。


そこには、たくさんの木々と生き物が生き、それぞれが自分の場所で自分の時間をしっかりと刻んでいる。春には桜が咲き、芽吹き、夏には緑が生い茂り、秋には紅葉し、葉が落ち、冷たい風に吹かれ、冬の光を浴びて次の春に備える。大きな時間の流れのなかに、変わらずにめぐることの安心感、変わらずにあることの安心感。そして、それらに守られるかのようにある様々な営み・・・そこに生まれる笑顔、発見、驚き、楽しさ、温かさ、寂しさ・・・

そういったいろいろなものが、私のなかに私の時間と空間を取り戻させてくれる。


それは、確かに私はここにいるという感覚、自分のなかに自分の居場所があるという感覚である。
私にとってそこにいる時間は、自分のなかの心の居場所を取り戻す時なのかもしれない・・・。

(O)

※日常臨床語辞典 北山修監修 妙木浩之編(2006)
2011.11.01
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