36:季(とき)と対峙すること


さくら ひらひら 舞い降りて落ちて                               
春のその向こうへと歩き出す                                  
君と 春に 誓いし この夢を 
強く 胸に抱いて さくら舞い散る   
   ― いきものがかり『SAKURA』より ―


春の訪れを告げるかのように咲き誇り あっという間に散っていく
季(とき)の代名詞 桜

街の風景を一瞬で桜色に変え いつの間にか新緑へと移ろっていきます

そんな桜の情景は 季の訪れだけでなく 私に何かを語りかけてくるように感じるのです

花開く生命力には 長い冬を耐え抜く希望を
散りゆく姿には 人生の刹那さを
毎年変わることなく咲いては散りゆく儚さに 諸行無常を
桜の情景に 私のこころが映し出されるようです


なぜ 私たちは こんなにも 桜にこころ魅かれるのでしょうか


理由はそれぞれあると思いますが 私は思うのです 毎年変わることなく花開く姿を慈しみ 散りゆく姿に悲しみを覚えながら 生きるとは 毎年同じことを 繰り返し 巡り続けていく営みであることを 無意識のうちに実感しているのではないかと

古来より 桜の開花は種を蒔く標でした 夏の日照りに堪え 実りの秋に収穫する 季の折々に集っては 祈り 笑い 感謝を捧げる こうした地道な営みの繰り返しこそ 農耕民族であった日本人の拠り所であり そこに豊かな意味があるのではないかと

降ったり 晴れたり 思い通りにいかない季もあるでしょう 
しかし 冬の厳しい寒さの末に 春には必ずや芽吹き 花開くのです 
もっとも 感謝する間もなく 潔く散りゆく定めなのですが

生きるとは それぞれの居場所で 泣いたり 怒ったり 笑ったり 励まされたり 
それを繰り返しては 一歩ずつ歩み 巡り続ける営みといえるのでしょう

(M)
2013.04.06

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