40:からだが語る気持ちシリーズ5 「ねむりの効用 2」

 子どもの頃、自分が「いつ」眠るのかに興味をもち、夜な夜な「どの」瞬間に眠るのか頑張って知ろうとしていた時期がありました。今考えるとちょっと変な子どもです。その時にわかったのは、考えていることがだんだんとまとまりをもたなくなって、目に見える断片のようなもの(夢の破片のようなものなのでしょう)が入り込んでくるようになります。
時にそこではっと目を覚ましたりしながら、だんだんばらばらになっていく、引き込まれていく感覚です。その感覚は確かに「落ちる」ものであり、ときに「ほどける」ようなものなのだとも思わされます。


 落下し、ほどけてばらばらになっていくというように想像すると、それはとても恐ろしいことにも感じられます。眠りのむずかしさを抱えている人と話していると、そこにあるのは、自分の安全にまつわる不安、あるいは、大げさな言い方をすればばらばらになっておかしくなってしまうのではないかという不安があるように思うことがあります。


 眠りに落ちて、目を覚ますことは、心がほどけること、ほどけるということはまた編みなおされることでもあるのでしょう。
生理学的な方向から眺めると、眠りと覚醒は記憶と関係をもちます。心の中にまだまとまりをもたずにあった記憶のかけらが、エピソード記憶、長期記憶というタイプの記憶に分類され、まとめられるために、睡眠は重要だと言われています。さまざまな体験を睡眠によって消化して、また少し昨日とは違った、成長した自分になるのです。


 眠る人の体験の方向から考えると、安心して眠りに落ち、目を覚ますためには、睡眠の環境が静かでほどよい温度であったりすることが必要です。昼間の出来事から少し距離をおいて心はゆっくりと落ち着けられている必要もあるでしょう。

  眠りてはこの世のそとへ山桜  奥坂まや

 旅先でのひとこまでしょうか。眠りに落ちていく作者の目の奥には、昼間みた新緑の中にぽつぽつと浮かぶ山桜が灯っているようです。そしてそんな眠りは作者にとってはこの世の外に出て行く体験なのでしょう。

 落ちても地面に叩きつけられることはないし、ほどけてもまた編み直される、そんな眠りに対する安心感は、わたしたちが自分の心に持っている信頼感でもあります。そして眠りそのものが、よりわたしたちの心を健やかにまとめなおす営みでもあるのです。

(鈴木)
2013.08.01
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