01:話すこと・泣くことの効用

―「結局、人間ってのは独りなんだよ」

そんな愚痴をこぼせたのはそばに君がいたからだ―

野狐禅「さらば生かねばならぬ」より

「ただ話したって解決にならない!」「愚痴を言っている暇はない!」あるいは「愚痴を聞いている暇はない!」と言いたくなる時があります。そういう時こそ目が△(三角)になって、心のゆとりを失っている時なのですが。

たしかに、人と話すことはそれ自体がすれ違いを産んだり、ストレスになったりすることもありますし、“温泉に入る”とか“美味しいものを食べる”のように目に見るものではないですよね。目に見えないものの効用を私たちは信じにくい傾向があります。

それでも、話をして相手に自分の思いが伝わり、心が通じたように感じられた時、その瞬間に、こころが軽くなったような、すっきりした感覚を覚えるはずです。それはよく注意してみれば身体で感じることができるでしょう。さらに、自分の悲しみや痛みを相手に話している時に、泣いてしまうこともあります。「泣いても無駄だ!」ですって?いえいえ、そんな風に涙が出た時も、その後の変化を身体で感じてみると、泣く前とは違って何か重荷がとれたような感覚を覚えるでしょう。皆さんも話したり、泣いたりした後の瞬間の身体の変化に注意して、その感覚を味わってみて下さい。

話すことは「離すこと」であり、泣くことは「無く」ことでもあるというのは日本語の妙でしょう。私たちには、愚痴や苦しみを話して、相手にしっかりと受け取ってもらうことによって、心の痛みや辛い感情が自分から「離れて」相手に一部持ってもらうといったメカニズムがあるのです。泣くことは、自分から涙という雫が実際に出て行くことで、悲しみを少しずつ「無くし」ていくのでしょう。

こころの痛みを、自分から出して、誰かに受け取ってもらうことは、目に見ることはできなくても、身体とこころで感じることのできる人と人の重要なやりとりなのです。これは赤ちゃんをあやしたり、抱っこしたりするお母さんが自然にやっているような人間のコミュニケーションの基礎機能なのだと先人達は言っています。コミュニケーションとは、ほどよくそのこころを受け止める相手がいてはじめて成り立つのです。

私は、以前にも増して人間がこうやって他者に対して、話したり、泣いたりすることが、とても大切なことであると感じるようになってきました。人は人に愚痴をこぼし、涙を流し、それを受け取ってもらって、明日に向かっていけるように思うのです。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。今回は話す(=離す)ことの基礎機能について書きましたが、人間のこころはまだまだ複雑で奥行きがあります。今後もこのように、こころについて、人について考えていることを書いていきます。

(岩倉)

2010.06.28