15:震災から4ヶ月 ~疼くこころを支え続けること

東日本大震災から4ヶ月が経とうとしています。被災地からは依然として厳しい状況が伝えられており、一方では商工業や漁業の再開など、嬉しいニュースも聞こえてきます。困難の中で立ち上がらんとする皆様に頭が下がる思いです。

首都圏に避難していらっしゃる方も多く、私もお会いする機会がありました。迫る津波から着の身着のままで逃れ、そのまま自宅に一度も戻ることが叶わなかった親子でした。避難所を転々としてようやく仮住まいを得て、子どもは学校に通い始めました。そして2ヶ月が経ち、ようやく生活のめどが立って来た時期に、ふと子ども(Aさんと呼びます)が学校に通わなくなりました。

Aさんを、同級生や先生たちは気遣いとともに迎えました。からかったりいじめたりした生徒もいませんでした。仮住まいは、仮ではあっても安全で落ち着いた生活を送ることができそうな立派な家でした。

それでも、Aさんは学校に通わなくなりました。それどころか、自室に閉じこもり、外出することもなくなってしまいました。心配した担任の先生が親御さんにカウンセリングを勧め、そうして私はその親子と出会うことになったのです。

お母さんは、これまで学校を休むことなどなかったAさんが突然に登校しなくなり、「学校なんて行ったって仕方ない」と投げやりな態度を取り始めたこと、かつての同級生と連絡を取り合うこともなくなったこと、食事すらほとんど取ろうとしないことを弱った様子で語られました。心細い中で必死に住まいを見つけ、ここでしばらく暮らす覚悟を固め、生活が安定の兆しを見せた矢先のこの出来事はお母さんにとっては想定外のことでした。暮らしが安定すれば状況は少しずつ良くなるはずだと信じていたからです。

Aさんはすっかりやつれてしまっていました。一言も話すことはなく、うつむいているだけでした。私には、Aさんがすっかり打ちひしがれていてこれからのことなど何一つ考えられないくらいに落ち込んでいるように見えました。

大きな出来事があり、必死にその事態に対処しようとがんばり続けた人が、数カ月後に突然心が折れてしまったかのように落ち込むことは、珍しくはありません。人は非常事態にあっては気を張ってその事態に対応するため、しばらくはいつも以上の行動力や集中力を発揮することもあります。しかしそれはあくまでも一時的なもので、やがてそのエネルギーが切れ、疲労に襲われる時期がやってくるのです。

あの震災から4ヶ月近くの月日が経ち、被災しながらひとまず生活を再建しつつある方も増えてきているのではないかと思います。それに伴って、まひしていた心がそのはたらきを取り戻し、それゆえにどうにもならないほどの辛さに襲われる方も、増えているのではないかと思えてなりません。

目の前に危機があれば、人はたとえ相当な傷を負っていたとしても、走ることすらできるかも知れません。しかし危機が去れば傷の痛みはそれまで以上に襲ってきます。私はお母さんにそれを伝えました。Aさんは今、心に負った傷の痛みに襲われているだろうこと、それは無理もないことで、今Aさんに登校や勉強ばかりを勧める時期ではないことも話しました。お母さん自身も例外ではないこと。今はただ、十分に食べ、眠り、誰かに傍にいてもらいながら心の回復を待つほかないとお伝えすると、お母さんも「確かに、そうですよね」と安堵されました。

Aさんと同じように失ったものの大きさに打ちひしがれ、「これから」など考えられない方は、何万人もいらっしゃるでしょう。私のように、そういう方に出会い支えようとする方も多くいらっしゃるでしょう。Aさんの担任の先生は、Aさんの辛さを思えばこそ言葉が見つからないとおっしゃいました。「がんばれ、としか言えない」と。私は、がんばり疲れて倒れたAさんにそれは酷だとお伝えしました。

私がAさんに話したのは一つだけです。

「あなたは生きていていいんだから、しっかりご飯を食べなさい」

Aさんに伝わったかどうかも分かりませんが、私が心から言えたのはそれだけでした。

大きく傷ついた心が回復し、立ち上がるにはこれからまだ長い時間がかかることでしょう。臨床心理士として被災した方々に対して、長期的にできることがないものかと考えずにはいられません。

※事例は個人が特定できないよう改変を加えています。

(H)

2011.07.04