43:涙の理由

赤ちゃんはよく泣くものです。

おなかがすいた、きもちわるい、なんだかくるしい、なんとかしてほしい…言葉にならない色々の苦痛を、鳴き声や涙とともに、時には激しく全身全霊で爆発させます。

大泣きしている赤ちゃんの声を聞くと「何とかしなければ」という思いに駆られるのは、その子のお母さんだけではなくその場に居合わせた人も同じことと思います。それは赤ちゃんが、泣くことで自分の中の苦痛を誰かに伝え、世話をしてもらうことを強く求めるからなのでしょう。

赤ちゃんはひとりでは何もできないから、そうして周り人のこころを動かすことで生きています。泣くことは生き抜くために大切な事とも言えましょう。ほどよく世話をされた赤ちゃんは、やがて穏やかさを取り戻して安らいでいきます。

カウンセリングの中では、相談者が大人であっても人の涙に出会うことが多いと感じています。

語りながらぽろぽろと涙が流れるのですが、自分の涙の理由が分からない、普段の生活でも不意に涙が溢れることに困惑していると話す人もいらっしゃいます。そういう時は大人の涙もまた、こころの中に押し込められた苦痛が思いがけず溢れ出しているように思います。

大人になった人のこころにも、赤ちゃんの部分は残っています。その赤ちゃんの部分が自分自身に、あるいは誰かに「なんとかしてほしい」と訴え、大人の理性を突破して涙をあふれさせるのでしょう。ただ、大人のこころは実際の赤ちゃんほど素直ではないので、様々な現実的な理由をつけてその泣き声を隠してしまいます。いつの間にか、涙の理由は行方不明になっていきます。

カウンセラーは、涙の向こうに浮遊しているこころの泣き声に耳を傾け、泣き声が語る苦痛を聴き、それを見出そうと働きかけ続けます。それは訴え続ける人にとっても、訴えを聴きとろうとするカウンセラーにとっても、それなりに大変な取り組みです。

それでもそうしているうちに、それまで独りで、不意の涙でただ押し出すしかなかったこころの中の苦痛が、いくらか和らぐことがあります。

そういうことを通じて、ふと行方不明だった涙の理由が分かるときがあります。分かる、と言っても「ああこれか」と単純に分かるというだけのものでもありません。人それぞれでしょうし、一言で表現しきれない時もあるのですが、それが見出されると、何か腑に落ちる、納まりがつく、という感覚がしてきます。こころの中の赤ちゃんも穏やかさを取り戻し、それまでのように激しく泣き叫ぶことは少なくなるはずです。完全に泣きやむことはないかもしれないけれど、涙の理由が分かった人には、自分のこころを知り、みずからあやすことができるようになるのでしょう。

(H)

2013.11.01

※本文の「こころの中の赤ちゃん」像は、クライン派精神分析学の理論を参考に描いています。