50:からだが語る気持ちシリーズ6 「声を出すこと、言葉になること」

夏が近づいてきました。梅雨に入る頃、水辺では蛍が飛び始めます。

じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子

不思議な俳句です。蛍が明滅しながら、実はね……って話しかけられたように作者は感じているのでしょうか。「蛍」の季語には恋の気分がひそんでいるので、じゃんけんで負けた相手は恋敵だったのでしょうか・・・。蛍の発光の理由には諸説ありますが、生殖のため、という説も有力なようです。ここにいるよ、と雌に主張するための手段が蛍の光なのです。蛍は鳴くことをしない虫です。

一方、わたしたち人間は声をもっています。生まれ落ちた瞬間、赤ちゃんは息を大きく吐いて、そして元気な産声をあげます。声を出すことで、わたしたちはその存在を周辺に知らせ、また、その都度必要な保護を求めてきたのでしょう。そして成長の過程で言葉を手に入れ、去っていく人を呼び戻すために、愛している人に近づくために、言葉はわたしたちの口からこぼれてきました。

すべての声や言葉が、自分の心とずれることなく発されて、そして思い通りに受け取られていれば、こんな幸せなことはないのかもしれません。しかし受け取られないこと、ずれて受け取られてしまうこと、誰かの言葉に傷つくこと、そのような積み重ねが、わたしたちの声と言葉に影響を与えていきます。社会生活を重ねるうちに、心の声―本音(ホンネ)―と発声される言葉―建前(タテマエ)―にずれが生じていくのは、ある程度やむを得ないことなのでしょう。

声や言葉にまつわる症状はいくつかあります。声が出なくなってしまう失声、家では話せても、場所が変わると話すことが出来なくなる場面緘黙などです。喉の詰まり感に困っておられる方、症状とまでいかないまでも、特定の話題になると声が出づらくなったり、声の大きさが変わる場合もあります。

ホンネとタテマエがあまりに大きくずれてしまっているとき、本当に話したいことが誰にも届いていないとき、人の声はより出づらくなるようです。そのようなときに、まず声を出しても安心だと思える場所と相手が何より必要で、そのような場所がカウンセリング・心理療法場面なのだとわたしは考えています。

(鈴木)

2014.06.01