45:人生という旅をめぐって

昨年末、機会あって高齢者医療センターに立ち寄りました。多くの高齢者の方が、外来治療や入院のため行き交っていました。車椅子の方、杖の方、呼吸器をつけている方・・・。

身体的な疾患だけではなく、認知機能の低下という高齢者特有の症状を呈している方もあり、そういった方々がまるで子どもに戻ったように若い看護師や介護士からケアを受けている姿を私は目にしました。

センターの窓から、美しいイチョウの紅葉が見えました。

鮮やかに色づいた葉は冬の乾いた風に揺れており、これから散ろうとするその葉の生命力に心打たれました。同時に私は、祖母が亡くなる直前、これまでに見たことがないくらい生気に満ちた表情を見せたことを思い出していました。

高齢者は老いによって様々な機能を喪失しているけれども、それぞれにここまでの活躍があり、役割があり、苦労があり、生き様があり、そしていま人生の終焉が近づき、他者の手をあらためて借りることになっている・・そう考えると、介護者の膝の上に座って食事の介助を受けているその姿に、喪失の痛みや切なさだけではなく、むしろ力強さや重みのようなものを私は感じるのです。

私が思春期の頃、なぜか気になって書き留めていた詩を紹介します。

子ども叱るな 来た道だもの、

年寄り笑うな 行く道だもの、

来た道行く道 二人旅、

これから通る今日の道、

通り直しのできぬ道

この詩の作者は不詳ですが、浄土宗の信徒と言われる妙好人と言われています。

自分も幼き子どもの頃に同じ過ちをしたはずであるし、やがて年を取れば老体と同じような言動をするようになる、だから笑ったり疎ましく思ったりするな、という意味のようです。

人生は、長いようで短く、短いようで長い時間です。それは、まさに旅のようでもあります。赤ん坊は、母親の胎内から空気のある知らない世界へと放り出されて産声を上げ、そこから様々な人々と関わり合いながら人生という旅を歩み始めます。私が出逢った高齢者の方々も、旅をつづけている真っ最中なのです。命の誕生は命の終焉と対を成しているものであり、どちらもあって初めて人生の邂逅は意味を成すのではないでしょうか。

2013年という年は幕を閉じ、2014年という新年が誕生しました。これから通る今日の道、今年の道。皆さんにとってどのような道になるでしょうか。

通り直しをすることはできない道ですが、一時立ち止まっても、一旦立ち戻っても、一向に構わないと思います。自分のペースでまた歩を進め、スタートしていきましょう。全ての道のりに意味があり、そして旅はずっと巡っていくのですから。

(T)

2014.01.02