30:解離するこころ

解離性障害という病気をご存じでしょうか?

「解離」というのは、単純に言えば意識が自分から離れてしまうことです。その症状は「ボーッとして周囲で起きていることに気づかない」という誰にでもありそうなものから、もっと深刻なものまで様々な形で現れます。

重症になると自分の取った行動を全く覚えておらず、知らない間に誰かにメールしていたり、買い物をしていたりと、まるで別人になったかのように振舞っていることがあります。

何故このようなことが起きるのか、それには心の傷(心的外傷)が関係していると考えられています。

人が堪え難いストレスにさらされ、そこから抜け出すことができない状況が続くと、心は次第に追い詰められていきます。苦しい、助けてほしい、なんとかならないか・・・と、もがきます。やがてそれがどうにもならないとわかると、心は外の世界が変わらないことに見切りをつけて、その在り方を変化させようとします。

例えば小さな子どもが身近な大人からひどい仕打ち、すなわち虐待を受けたとします。それが一時的であればその時は心の傷になっても、時間をかければ修復できることもあります。しかし何度も繰り返されたり、長期間に渡って続いたりした場合は、時に子どもはこんなふうに感じるようになります。

「こんな怖い目にあっているのは、もしかしたら夢かもしれない。」

「夢じゃないのなら、これはぼくでなくて、誰か別の人のことなのかもしれない。」

「あ、ぼくのようにみえるけど、ほら違う人だ。ぼくは今それを、後ろからみている。」

「大変だな。でもぼくのことじゃないから、ぼくはこっちで眠っていよう。」

こうして辛い体験をしている自分と、それを見ている自分を切り離す心の働きが生まれます。これが「解離」の始まりです。

それは限度を超えた苦しみを体験し続けた時に、人が自分の心を守るために生み出す防衛機能です。耐え切れないはずの環境にあっても、なんとか生き延びようとする痛々しいまでの心の働きなのです。

このような苦境に生きてきた人が解離した自分をいくつも作り出し、それが独立して別々の生活を始めてしまうことがあります。一人の中に何人もの人格がいるようになります。これが解離性同一性障害、いわゆる多重人格です。

現代は人々の心が解離しやすい「解離の時代」だと指摘する声もあります。実は上に述べたような深刻な心の傷を受けていなくても、解離する心が生まれることがあります。多様な価値観がめまぐるしく変化する社会において、人々は解離を上手く活用しないと生きていくのが難しくなってきたのでしょうか。

今の時代や社会が抱える問題を、この障害は我々に問いかけているのかもしれません。

(松井)

2012.10.01