17:モノと対峙すること

東日本大震災の日、わたしは帰宅難民になった。一夜明けて、疲労と緊張が覚めやらぬ中、スーパーやコンビニに陳列されていた水や電池といった商品がこつ然と消えた。やがて我が家の朝ごはんの定番、納豆やヨーグルトが消えた。

買いたいものはいつでも買える便利さに慣れ、品薄とは全く無縁だった日常。あるはずのモノがなくなってはじめて、私たちは不在に気づき、そして,やっとモノのある日常の価値に気づく。

感覚の麻痺だ。

同様に、電車が来なくて家に帰れない、計画停電で気ままに時間が使えない、といった日常の混乱までは考えが及ばない。さらに、原発事故による放射性物質の危険性の不透明さから風評被害が生じ、突如として価値が失われるモノ、反対に買占められ品薄になるモノが出現する。

被災地では、家族や住む場所や家財、かけがえのない家族、友人、モノ、生活を一瞬にして失った人々が多く居る。その喪失はいかなるものか、想像を絶し、ただただ心が痛むが、震災直後は感情に浸っている暇などなく、とにかく水・食料・燃料を、生きるための支援物資を求める声が上がり、現地で求められているモノを、求められているタイミングで届けることが何より優先された。

モノがあふれる時代の災害、気づかぬうちに鈍感になっていたモノとの関係を考えずにはいられない。

必要なモノ、本当はいらないモノ、あることで負をふりまいているモノ・・・日常には様々なモノが混在している。しかしながら、モノはモノを言わず、モノ自体は主張しない。つまり、モノを区別し意味づけているのは人のこころのありようなのだ。

例えば、モノAについて考えよう。Aはどこにでもあるありふれたモノ。ただし、ある家族に代々受け継がれてきたとすれば、Aは、その家族の絆の象徴、逆に厄介な負の象徴として意味づけられてゆくだろう。先祖のお墓、七五三の着物、玄関の表札、古道具・・・おそらく他人には無用なモノ。しかしその家族にとってAは想う故人や思い出と同等の存在である。また、Aが、例えばコップ一杯の水として、震災前後、状況によってまるで違ったモノとして意味づけられる。被災地でもモノの重要性は刻一刻移り変わっていたようだ。

私たちは、日常ではモノの存在をあまり意識せず、当たり前のように(感覚が麻痺したまま)、モノを受け入れている。しかし、状況と、個々人の要因の掛け合わせによって、モノの扱われ方は全く違ってくる。モノの扱われ方やありようは、そこに居る人のこころと関係性を映す。

冒頭に述べた、震災後のモノの扱われ方やありようには、災害に対する恐怖や困惑、便利さと引き換えに得た負の遺産への不信感、危険性や不在に対する感受性の麻痺からの覚醒、絶対が存在しないことへの不安を排除し、保証を得たいという願望・・・様々な情緒が映し出された現象といえるのではないだろうか。

東日本大震災で亡くなった人々や美しい自然を弔い、残された人々の喪失の痛みを分かち、再生を願う気持ちがモノに託され、それを受け取る側も元気をもらい感謝するといったように、モノを介して人と人が情緒的に繋がっているといえるかもしれない。

わたしが日々出会う子どもたちとのプレイセラピーにおいても、これは同様だ。

プレイセラピーでは、モノの扱われ方=プレイ(遊び)をツールとするため、言葉でうまく表現できない幼児や児童であっても、こころの世界のありようを理解することができる。例えば、同一の人形が魔女として扱われたり、聖母として扱われたり、扱う人によって、扱う時期によって、千差万別である。少量の道具と人形で、恐怖に満ちた骸骨の世界、あるいは安心に満ちた凪の海辺など、様々なシーンが面接室に展開する。

そのように、モノとそれを扱う人との関係性に着目し、そこに象徴化された無意識について、意味を与え、こころの世界のありようを理解していく。そして、その修復のプロセスを共にする。

モノとの、そして人のこころとの関わりの真実を、こころを麻痺させることなく、見つめていくことをあらためて心に誓う。

(M)

2011.09.05