46:覗いて(除いて)はならない業と対峙すること

幼い頃、繰り返し読み聞かされ、親しんだ昔話や童話の中には、教育的な配慮によって加工されているものが多いことをご存知でしょうか。たとえば、人間模様の妙や業を伝えるとされるグリム童話集の『白雪姫』で、白雪姫に毒りんごを食べさせる「魔女」や「継母(ままはは)」が登場しますが、原作は「実母」に殺されそうになる話です。日本に伝わり、広められる際に、覗いてはならない残酷な母親の業とみなされ、母でも人でもない恐ろしい魔物の業として隠蔽されたのです。

覗いてはならない業は、実は身近な話です。「虐待」という言葉が広く知られ、親子や夫婦の間にも起こり得るという理解や認識が徐々に浸透していますが、隠れるように心理療法を求める方は少なくありません。「虐待」を受けた人は、良心や道徳といった枠組みが通用しない環境におかれ、その過酷さに耐えているにもかかわらず、忌み嫌う存在と自らを位置づけ、怒りや傷つきを秘めてやってきます。反抗したり、逃げ出したり、外に助けを求めたりせず、家族からの酷い仕打ちはなかったことにして沈黙を守り、家族や自分を守っているのです。虐待する人もかつて虐待を受けており、単純にどちらかを責めたり哀れんだりできない難しさを孕むため、誰かを非難したところで真の解決にはなりません。

仮名Aさんとの心理療法の序章を紹介しましょう。Aさんは、心理療法を受けようと意を決し、これまで心の中に封じ込めていた母親からの酷い仕打ちを怒涛のように話し始めました。あまりに残酷な内容に、セラピストは、本当のことなのだろうか、なぜ逃げ出さなかったのだろうか、のような疑念がすぐさま浮かび、Aさんに寄り添えない後ろめたさを感じます。Aさんにとって救世主であるはずのセラピストが疑念を抱いているなんて。セラピストから裏切られたかのように感じてひどく傷ついたAさんは、転じてセラピストの偽善の皮を剥がしてやりたい欲望へ向かうのでした。

序章でのAさんは、家族もしくは社会による偽りの封印を解き、生々しい妬み恨み辛みの感情を放したところです。この時点でAさんは、真実性や主体性を欠いた『白雪姫』の童話の世界に住んでいます。しかし今後もAさんが、過去の記憶を想起しようとするならば、自らの人生における狂気の意味、真の自己の発見、生きている実感を得るための歩みをセラピストと共に一歩ずつ進むことになるでしょう。

(M)

文献 佐藤紀子(1985)『白雪姫コンプレックス』

2014.02.21