51:「すきできらいで」のおはなし ―アンビバレンス(両価性)について―
今回もこころのはたらきについてのお話です。
先日、実家で荷物の整理をしていると、こどもの頃の懐かしい品々が出てきました。その中に、幼稚園の出席カードがありました。出席するとシールが貼られ、その月休まず出席すると金色のシールがもらえます。シールのために風邪をひいても無理して登園していたことを思い出しました。ノートの最後に大好きだった担任の先生からのメッセージ。「自分の気持ちを素直に表現できる子どもらしい性格でした」と。ずいぶん手のかかる子だったはずなのですが、どうやら素直に言いたいことは言えるようになっていたようです。そんなころを懐かしく思い返しながら、考えたことがあります。それは、あのころの自分はもっと無邪気で、自分の気持ちに素直で、「すき」と「きらい」がはっきりしていたのではないかしらということ。大人になった今、小さなことどもたちと接するときにもそれを感じます。
同じ相手に対して、怒ってすねたと思ったら、次の瞬間抱きついたり。友だちとの関係でも、けんかして急に遊ばなくなっても、少し時間がたつと、さっきまで「絶交」と叫んでいたことがうそのようにまた一緒に遊んでいます。コロコロと変わる態度に大人の自分がついていけないほどです。
しかし、いつごろからでしょうか。成長するにつれて、その「すき」と「きらい」はなんだか複雑になったように感じます。相手のいいところも知っているけれど次第に嫌なところがみえてきて、そうするうちにまたいいところがみえてきたり。この人のここは好きなのだけれど、どうしても好きになれないところもある。でも全体としては気に入っていたり。
このように同じ相手に対して、相反する気持ちや態度が一緒に存在することを心理学ではアンビバレンス(両価性)といいます。好きと嫌いがこころの中にどちらもあることと言い換えられましょう。
もう少し別のたとえで説明すると、赤ちゃんのころは、好きは好き、嫌いは嫌いとはっきりと分かれています。おっぱいが欲しい時にすぐに気付いてくれる時のお母さんは「好き」、おなかがすいているのに気づいてくれないお母さんは「嫌い」、というように、赤ちゃんにとってそれはまるで別々の人のようです。成長するにつれて、おなかがすいているのを察知しお乳をくれるのも、気づいてくれずに忘れてしまっている人も同じ人物であることを知っていきます。すべてが好きと嫌いでは割り切れない、思う通りにはいかないことを知るという悲しいことでもありますが、次第に同じ相手に対して好きな気持ちもあるし、嫌いな気持ちもあるというような多面性をとらえていくこころが徐々に定着していくのです。この気持ちの揺れをアンビバレンスといい、それに持ちこたえることが、成長の証しとされています。
好きだけれど嫌い。尊敬もしているけれど軽蔑している。愛と憎しみ…。
ただし、このようなアンビバレンスの状態にいつづけると時に人は精神的に不安定になる場合があります。複雑さに持ちこたえられないがゆえに、どちらか一方の気持ちだけにしたくなってしまうのです。突然極端な行動にはしる人の気持ちの背後には、そのようなアンビバレンスへのもちこたえられなさや破綻がみられることがあります。
揺れ動く思いを持ちこたえるなんて、大人も大人で大変です。シールはもらえないかしら?
(K)
2014.07.08