07:深く静かな“こころ”の森への誘い

コンクリートのビル群や都会の喧噪を離れて、

深く静かな森を歩くことが私は好きです。

数千年の時を生き続けてきた巨木たちの揺るぎない姿に

心惹かれるのです。

巨木はなぜあのように静かに、凛として、惑うことなく立っているのでしょう。私は、彼らに出会うと、まるで過去に自分を支えてくれた、穏やかで、懐かしいものとの再会がかなったような気持ちになり、その温かさに思わず身を寄せたくなります。手や頬をよせてみると、その木肌から、緩やかに歴史を積み重ねてきた生命の厚みが伝わり、全てを受けて入れるかのような太古の懐の深さに圧倒されます。そして、自分たち人間の生命の短さと、儚さも実感するのです。日頃の悩みや葛藤の存在が、とてもちっぽけなものに思えてきます。

・・・・・巨木たちは私を内側から深く癒してくれるのです。

一方で、森の中には、巨木のみではなく、小さな木々も生きています。不自然に枝を伸ばした木、いつ倒れるかわからないくらい傾いている木、巨木に巻きついて必死に生きている木・・・・。穏やかに見えて過酷な一面も持つ森の中で、現在の姿へと導かれてきたのでしょう。

彼らは、いのちを維持するために、光の方向を探してくねくねと曲がったり、細い枝や幹にしか成長することができなかったり、他の木に根を乗っ取られて朽ちてしまったり、台風や大雪に倒れてしまったりする。そしてその木がまた土になり、ゆっくりと森に還っていく。そんな木々たちも森の大切な構成要素なのです。

心理テストの1つに‘バウムテスト’があります。白紙に木を1本描くのみのテストです。描かれた木のいでたちや在り方に、その人の人生の軌跡、身体のイメージ、意識的・無意識的欲求、そして自己像が投影されやすいと言われます。森を歩き、こうして木々に出会うと、あぁ本当にその通りだなぁという実感がわきます。

私たちも数々の刺激にさらされ、今を生きています。それは、わずかな光しか得られない過酷な競争社会かもしれないし、栄養の少ないやせた土壌かもしれない。予想もしない激しい台風や大雪に見舞われることもある。私たちは私たちの中にある生きる本能を頼りに、多くの刺激を引き受けながら日々生命を営んでいます。しかし、時にエネルギーが枯渇し疲れたり、受け止めきれない出来事に心が折れたり、生きる方向を見失うこともあるでしょう。

私は心理療法の過程で、深く静かな森にいるかのように感じることがあります。相談者の方とカウンセラーが二人で紡ぐ心理療法という枠組みが「森」であり、その中で木々が静かに成長していく営為を感じるからです。激しい感情の嵐も、穏やかな感謝や喜びも、その森の中でともに味わっていくのです。

木はその木なりにこれまで育んできた幹の太さや枝の分かれ方など、姿そのものを変えることはできません。私たちも同様で、過去の経験や歴史はいかなる手段をもっても変えることはできません。しかし、心理療法を通して、経験に伴う感情を吟味し、ゆっくりと木のありようを認め、自らのいでたちへの理解や信頼を積み重ねていきながら、次はどこに伸びていこうかと新たな未来への枝葉を広げていくことができるのかもしれません。

そして、いつの日か、生へと歩むみずみずしいその立ち姿は、ふれあう人に信頼と魅力を映し出し、誰かを癒すことができるのではないでしょうか。 あの巨木のように・・・・・。

(T)

2010.12.01