14:私はプリキュア!! ~日常の風景から②~

もうすぐ5歳になる姪はプリキュアが大好き。音楽に合わせ踊ったり、変身ポーズを真似てみたり、最近はすっかりプリキュア気取り。将来は何になりたいのかと尋ねると、「プリキュアになりたい!」と即答。これが最近の男の子だったら仮面ライダーオーズでしょうか。

誰もが通ってきたこんなあこがれの想い、このような心理は、子どもに限らず、大人になっても大切なこころの基礎機能なのです。

街を見渡せば、好きなタレントやモデルの服や髪型をお手本にしている若者、流行のファッションに身を包んでいる人の姿は良く見られます。最近では、ファッションのみならず、ライフスタイルそのものをお手本にし、よりよい暮らしを求めている人たちの話も聞きます。また、何かを習う時、特に初心のころは師匠に強くあこがれ、まるで師匠そのもののようになっている人もいます。

そんな風にあこがれや目標をもち、強く影響を受けた経験は、みなさんにもきっと覚えがあることでしょう。周りから見ると、すっかり感化されているように見えたりしますよね。

さて、こういうとき、私たちのこころはどう動いているのでしょうか。これは、心理学では「とりいれ」や「とりいれ同一化」と言われています。「とりいれる」とは日常でもよくつかわれる言葉ですが、"05.いたいのいたいのとんでいけー"で紹介した、自分の心の中を外に出す「投影」とは反対に、外から自分の心の中に何かを入れ、取りこむ機能です。出す「投影」と入れる「とりいれ」は対になって絶えず働き続けています。

実際、わたしたちは毎日食べ物を身体に'とりいれて'生きているわけですが、このとりいれの起源は、お母さんのおっぱいを吸う赤ちゃんの時期です。赤ちゃんは、お母さんから、お乳という具体的な栄養分をまさにとりいれて成長していきます。

その時のおかあさんと赤ちゃんの様子を心理学の視点から眺めてみましょう。赤ちゃんが一心不乱に乳房を吸い続けている時、お母さんとふたりだけの至福の時をともに過ごしています。その時、赤ちゃんは栄養分という身体的なものだけではなく、幸福・信頼・安心といった心理的なありようも同時にとりいれているととらえられます。

プリキュア好きの姪っ子も、ただ単にプリキュアの姿だけがお気に入りというわけではなさそうです。テレビの画面にくぎ付けになった後の彼女は、正義感いっぱいに、あんなふうに強くて優しくなりたいと目をキラキラさせています。主人公の優しさや正義感、悪に立ち向かう姿、そして対決の中での寂しさや悲しみといったものまでとり入れているようです。

自分の身につらいことや苦しいことが起こり、なんとか気持ちを立て直そうとするとき、そのように今までの人生でとりいれられてきた良い思いや心の機能があるからこそ、何とか乗り越えられていくのです。

さらに、「心が豊かになる」ということは、他者や書物などの外部との関わりから、スタイルや形だけではなく、さまざまな心理的な感情もとりいれ、体験し、それらをその人自身のものにしていくことなのです。例えば、体験していない戦争の苦しみや痛みを映画を見て学んだり、偉人の話を聞いて、努力や信頼の価値を知るといったように。

ただ、この「とりいれ」にも不健康な側面もあります。というのは、次から次にそのあこがれ、取り入れる対象を変えていく人がいます。前回会った時は、学生時代の先輩を尊敬し、趣味も服装もまるでその人のようになっていた彼女が、1年すると、全く別の職場の上司に心酔し、口調や生活スタイルまでまるで以前とはまるで別人になっている。しかし、それもいつまで続くのやら…、といった具合。これは、自分の人生が、感化されるのみで全部他人のまねごとになってしまうような状態です。とりいれがそのまま「受け売り」や「呑み込み」になってしまい、自分自身を見失ってしまうこともあり得るのです。「とりいれ」では、自分のこころを適度に保って見失うことなく、その上で新しいものを入れていくことが重要なようです。

人は誰とも関わらなければ、その人が持っているもの以上に成長することは決してできません。外からのとりいれがなくなってしまうと、人のこころは自己の内部のみで完結した閉鎖系になってしまいます。外の世界から、次々と取り入れ、それを吸収してはじめて豊かな心へと成長していくのです。そしてそれをまた誰かに出して影響を与えていく…。これが人のコミュニケーションの真髄なのです。

(K)

2011.06.01