28:水の効用
暑くなったり涼しくなったりを繰り返しながら、本格的に暑い夏が近づいてきた。
夏になると水場で過ごす機会がぐんと増えるが、滝から落ちる水や、川の流れをみていると、そしてそこから聴こえてくる水の音に耳を澄ませていると、なぜだか気持ちが澄んで癒される・・・
一日の終わりにシャワーを浴びる、お風呂に入る。
一日の汚れを、身体だけでなく、心身ともに洗い流してくれているかのような心地よさがある。
水が流れるのを、見たり聴いたりすることは、これと似たような作用があるのだろうか。
普段の生活のなかでたまる疲労感や、がんじがらめになって身動きがとれない自分、ごちゃごちゃした気持ちや雑念が、水の流れや音とともに溶けて、ほどけていって、少しだけ伸びやかな自分に会える。川の流れや音に包まれて、今ここにいるひとりの自分を静かに穏やかに感じられるようになって、本来の自分の気持ちや声に耳を澄ませているかのような気分になる。
川っていいなー、滝っていいなー、と思う瞬間である。
これに爽やかな風が吹いていたら申し分ない。
さてさて・・・
“水に流す”という言葉がある。
嫌な気持ちや出来事、過去のいざこざ、そういうことを流してなかったことにする、ということを意味しているが、穢れや邪悪なものを川などで清め流すという、日本独特の思想からきている言葉なのだそうだ。やはり水には、そんな浄化作用があるのだろう。
水に流すというのは、むかしからあるひとつの知恵だと思う。
不可避なさまざまな事象を、済ませて、いろんなことを流して、過去のことにして、新たなこととしてやっていく。それは、『生きる』という大問題を前に、人が生きやすくする知恵であり、人との関係を穏やかに維持していく知恵なのであろう。
けれども・・・
流したつもりでも流れていないことがある、流したいのに流れないこともある。流すことに成功しても、一緒に大切なものまで流れてしまうこともある。
そうして『生きる』という流れに、なんだか不自由を感じたら、生きづらさを感じたら、水に流すのをやめてみる、立ち止まってみる、そういうことが大切なときもある。
その流れをじっくりみてみること、流れに身を浸すこと。
時には少し水をためてみて、その中を、あるいはそこに映し出される風景を、そーっとのぞいてみること
それは苦痛を伴うことだけれど、それはきっと、『生きる』という流れに自分らしさを取り戻し、生み出す力になると思う。
(O)
2012.07.25