47:春の訪れ ~お別れの多い季節に~
沢山の雪が降った2月が終わり、気がつけば冷たかった風は幾分和らぎ、あちらこちらで春の訪れを感じるようになってきました。春は、新しい生命が芽吹く季節であると同時に、なにかとお別れの多い季節でもあります。
さよならは寂しい・・・。今回は、お別れという出来事を前に私たちができることを教えてくれる、絵本をご紹介します。
『いつだって ともだち』
大草原に沢山の象が暮らしていました。そのなかにベノという明るく元気な子象がいました。ベノにはフレディという一番の友達がいて、ふたりはお互いが大好きでした。ところがある日、フレディはお父さん、お母さんと別の草原に行くことになりました。ベノは、去っていくフレディをいつまでもいつまでも見送っていました。
ベノはすっかり元気をなくし、おなかも空かないし、遊ぶこともしないし、フレディのお母さんを恨んでメソメソするばかりでした。みんなは心配して、他の子象たちと遊ぶことや、新しい友達をつくることを口ぐちにすすめます。ベノは言われたようにしてみるのですが、何をしても楽しくありません。どうしたらいいかわからないベノは、ものしりのふくろうのホレイカのところに向かいます。「おまえができることはみっつある」ホレイカは言いました。
「ひとつ、かなしいときには がまんせずになくこと」
「ふたつ、かなしいきもちを だれかにはなすこと」
「みっつ、こころのなかに ともだちのへやをつくること」
帰ってからベノは、たくさんたくさん泣いて、それからお母さんにフレディがいなくなってどんなに寂しいかを話しました。そして、こころのなかにフレディをしまっておく部屋をつくることにしました。こころの中をのぞいてみると、そこにはもっと沢山の場所があることがわかり、そこにお父さんやお母さんの部屋や、他の象や動物たちの部屋もつくりました。
ベノは少しずつ元気になって、他の子象たちにフレディの思い出を話したり、フレディの夢をみたり、遠くにいるフレディのことを思ったりしました。そして新しい友達と元気に森へ遊びにでかけるのでした。
大切な人を失ったこころは、楽しいことをして忘れたり、新しい誰かや楽しい何かで埋め合わせたりするだけでは、回復できないようです。悲しみや寂しさ、怒りや恨み・・・わいてくる様々な気持ちを、泣いて、話して、きいてもらって、時にはそれを何度も何度も繰り返して、そうやって喪失した人のこころのお部屋をつくること、こころのなかのその人と一緒にいられるようになること、そういうプロセスが必要なようです。
人生は出会いと別れの連続。特に別れは、生きていることにどうしようもなくついてくる辛く苦しく困難な出来事です。私たちは別れがあまりにも辛すぎて、出会いを避けひきこもりたくなることすらあるのです。
この絵本は、お別れという出来事を前にすると本当に無力な私たちができる、ささやかなことを示してくれています。それはささやかではあるけれど、勇気とエネルギーのいるつらく苦しい心の作業であり、ささやかであるからこそ時間も支えも必要になるのです。
ベノはいろんな人に支えられ、寂しさを噛みしめながら、時とともにフレディとの別れのプロセスを歩んでいったようです。ベノが気づいたように、心の中には沢山の場所と沢山の部屋があります。ベノは大きくなったら、フレディのことを思い出すのと同時に、その時に大切なことを教えてくれたホレイカのこと、話をきいてながい鼻でだきしめてくれたお母さんのこと、一緒に遊んだ友達のことを思い出すことでしょう。
(O)
引用 『いつだって ともだち』 講談社
エリック・バトゥー=絵 モニカ・バイツェ=文
那須田淳=訳
2014.03.01