02:幸せと不幸せと口内炎

And the soul afraid of dying

that never learns to live.

-そして、死ぬことを怖れる心では

生きると言うことを知ることができないの-

「The Rose」作詞:Amanda McBroom より

口の中で猛威をふるう口内炎。私は体質からか大きな口内炎が(しかもできる時は複数)できやすく、そんなときは、食事をすることがほとほとイヤになってしまいます。刺激物を食べれば激痛で、その痛みを避けて食べることに気を使うあまり美味しさを感じることもできません。おまけに食事時間以外もジーンジーンと響いてくる痛み。この上なく憂鬱な毎日をおくることになります。

そんな日々をやり過ごし、ついに口内炎がふさがっていき、痛みがひいていきます。そうして食べるお寿司や味噌汁の美味しさと言ったら・・・!それは私がもっとも“幸せ”を実感する瞬間です。自分の口で好きなものを好きなように味わうことができること、その幸せを文字どおり噛みしめるのです。

しかし、それからしばらく経って口内炎の思い出が消え去り、普通に食事をすることが日常になると、いつしかその生き生きとした“幸せ”は消えてしまっています。一体あの“幸せ”はどこにいってしまったのでしょうか?

そうやって、私たちの“幸せ”は、日常の中に溶け込み、埋没しているのです。口内炎という不幸が、自分の口でものを味わうという幸せをはじめて浮かび上がらせます。“幸せ”は“不幸せ”との対照のなかではじめて実感されるのです。そして、不幸せというもう一方が見えなくなると見失うものでもあるのです。私たちは、今も当たり前の日常の中に埋もれた幸せを見出せなくなっているのかもしれません。

少し飛躍がすぎるかもしれませんが、私は、このように幸せは不幸せと、”健康”は”不健康”と、“生きていること”は“死ぬこと”と、そして“愛すること”は“憎しむこと”との対照の中で成立し、その揺れ動きの中で感知されるものだと知ることができるようになってきました。私たちは今当たり前のようにあることを、その反対の感覚を自覚することなしに本当には捕まえられないのだと思うのです。

見えなくなっている幸せを大切にするために、私たちはそれを注意深く選り分けて、見出していかなければなりません。そのために、時に私たちは自分の“不幸せ”を見つめる必要に迫られることもあります。あるいは、死や、憎しみ、そして絶望と向かい合わなければならない時もあるでしょう。生きることや愛することや希望を見出すために。そして、次に進むために。

「口内炎の話から、随分と大げさな話になっているぞ」という声が自分の中から聞こえてきました。

・・・それでは、今日はこれぐらいにして、口内炎の薬を塗って休むことといたしましょう。

(岩倉)

2010.07.13