41:「こころのうぶ毛」のお話

今年の夏は、例年以上に暑かったですね。照りつける太陽と都市熱に身体を包まれるようでした。私は、ただでさえ暑いそんな日にラッシュ時の通勤電車に乗り、おしくらまんじゅうのように肌と肌がくっつくのをじっと我慢をしている時、心と身体がすっかり擦り減ってしまうような感覚を覚えます。

この夏を振り返りながらこのコラムになにを書こうかと考えていた時、ふと、カウンセラーの仕事を始めた頃に手にした本に書いてあった「こころのうぶ毛」という言葉を思い出しました。それは、統合失調症の患者さんについて書かれていた本でした。書いたのは元神戸大学の中井久夫先生、著名な精神科医です。

統合失調症という病気をご存じでしょうか。症状は様々ですが、主に幻聴や妄想といった症状に悩まされ、医学が進歩した今でもはっきりと原因はわかっていない、まだ研究途中の病です。陽性症状と言われるそれらの症状の渦に巻き込まれるだけでなく、治療環境の苛酷さ、残念ながら今もまだ根強い偏見にさらされる中で、彼らは心身を激しく消耗し、回復に時間がかかります。この病気にかかると、彼らがもともと持っていたであろう、素朴さや、繊細さ、ちょっと不器用なところもあるけれど人を引きつける魅力などといった良さが擦り減っていきます。それはまるでこころがバラバラになっていくかのようです。

中井先生は、人間のもつ繊細さやデリカシーといった感性を「こころのうぶ毛」と記したのだと思います。そして、統合失調症から回復する過程では、ただ薬を飲んで治療するのみではなく、このすり減ったうぶ毛が回復するように「柔らかに治ってもらう」ことが大切だと書いています。

この話を聞いたのはもう20年近く前のことですが、私の中に、カウンセラーとして仕事をしていく際の大事な言葉として残りました。

うぶ毛は、生まれたての赤ちゃんに生えています。大人にも顔や首筋などにうっすらとやわらかいうぶ毛があります。うぶ毛は、皮膚を外気から守ってくれたり、外と内の間にあって温度調整をしてくれたり、汗をとどめてくれたりしているのです。うぶ毛にふれたときの心地よさは誰もが体験したことがあるでしょう。そんな柔らかいうぶ毛がこころを包んでくれていたなら…。

私が満員電車の中ですり減っていくように感じるのはこのこころのうぶ毛のようです。ストレスの多いこの世の中で、こころのうぶ毛が摩耗してしまった状態では、人間関係もつるつる滑ってしまったり、イガイガと引っかかってしまったり、守りが薄くちょっとしたことで傷つきやすくなり、その防御策として逆に攻撃的になったり。

また、顔のうぶ毛は化粧品があれば大丈夫だからと、美容のために剃ることもあります。見た目はきれいになるのかもしれませんが、もしかしたら見た目ばかりを優先して元から備わっている大事なものを自ら手放しているひとつの現れのようにも思います。一見目立たず、ときに無駄だと思われるものが、実はわれわれを守ってくれているのです。

私は、カウンセリングでは、この柔らかいこころのうぶ毛を大切にし、その人本来のうぶ毛が回復していくと良いなと願っています。

秋はもうすぐそこまできています。肌に触れる風が心地よい季節です。

(K)

2013.09.01