52:「悲しむ」ということ
田園都市線の改札を出て右に曲がる。バスに並ぶ人々の列を横目に見ながら角を左に曲がり、やや勾配のきつい坂を上り始めると、ふと私の頭の中にある映像が入り込んできた。タリーズの横の古い階段、駐車場の前の急な坂道、そこを上ると見えてくる遠くの空。あの数段しかない階段を上った瞬間に目に入ってくる風景が好きだったな、と、懐かしさと微かな寂しさとが胸に染み入ってきた時、私は目の前の信号が赤信号であることに気づき、慌てて止まる。そして気づくのである。そうか、私は新しいオフィスへ向かっているのだ、と。
少々、小説風な入りをしてしまったが、最近あざみ野心理オフィスは引っ越しをした。新しいオフィスは以前のオフィスと比べるときれいで、とても快適になった。もっと言えば、オフィスに向かう道のりも悪くない。坂道は少々きついが、少し現実離れしたきれいな家々を見ながらの出勤はまた違った良さがある。
それでも、私は時折昔のオフィスのことをふと思い出してしまう。それはいつも私の意識にある訳ではなく、あくまでも「ふと」なのだが。
今、私はこのコラムをとあるカフェで書いている。私の席の目の前で若いカップルが別れ話をしているようだ。女の子は涙し、男の子はうなだれている。沈黙の中、氷だけが溶けていく。そして左の席では、同い年くらいの男性が転職のための履歴書を書いている。絶対に転職してやる、と言わんばかりの表情は今の会社との別れの近さを予感させる。右に視線を移せば中学生くらいの女の子が母親と仲睦まじくおしゃべりをしている。とても楽しそうだ。しかし、あの女の子もいつかは自立して家を出ていくのだろうか。
そう、文学や歌謡曲を引き合いに出すまでもなく、世の中は別れや喪失に溢れている。引越しもそうだが、失恋も、転職も、親離れ子離れも、そして誰かとの永遠の別れも。「さよならだけが人生だ」という言葉があるが、別れを体験しない人など誰一人としていない。
人間にはその別れを乗り切るための自然な力が備わっている。多くの場合、時間というものが私たちを助けてくれるし、時に「四十九日」や「一周忌」といった儀式の助けを借りながら、私たちは失った人やものを思い出したり、回想したり、そばにいるような気持ちになりながら、ゆっくりと、みずからの心の中に位置づけていく。
しかし、別れの中にはいくら時間が経っても、何とか乗り越えようと試みても、どうしても乗り越えられない別れもある。嫌というほど思い出し、恋しさ、憎さ、申し訳なさなどありとあらゆる感情を繰り返し体験する。
そのような苦しい状況では、人は何とかして乗り越えようともがく。酒、金、セックスにのめり込む人もいれば、命を削るかのように仕事や趣味に没頭する人もいる。その別れを忘れるために。しかし、忘れられずにもがき続ける。これらの手段は、この苦しみをなんとか生きていくためのその人なりの精一杯の方法である。その手段をとらなければならないほどに、そして、悲しみを悲しみとして感じることができないほどに心が痛んでいる、と言えるだろう。
しかし、悲しいことに、こうした悲しみというのは悲しまれないでいる限り、終わりのない迷路のようにめぐり続ける。折に触れてよみがえり、その度に心の自由を奪う。さらには、その悲しみが強ければ強いほど、触れ難いものであればあるほど、放置され、石のように固まり、心の中に棲みついてしまうことになる。
「悲しみ」という言葉になっていない悲しみが心に棲みついてしまった時、何ができるのだろうか。それは、忘れることでも、消し去ることでもなく、「悲しみ」を悲しめるようになることなのだろう。とはいえ、この作業はとても難しい。時間がかかるし、途方もない道のりを必要とすることもある。もしかしたら、そのような非効率的で徒労に終わる可能性すらあることには取り組まずに生きていった方がいいのかもしれない。
しかし、どうしてもそれを乗り越えたいと望む時、心理療法はおそらく役に立つだろう。時間をかけ、安全に取り組むということは世の中の流れに反することに見えるが、もしかすると遠回りが一番の近道であることもあるかもしれない。
さて、このコラムを再び小説風に閉じようと思う。
そして仕事を終えた私はオフィスを出てあざみ野駅へと向かう。すっかりと暗くなった坂を下りながら、ふと、そういえば前のオフィスは今どうなっているのだろう、と考え始める。しばらく、悶々とする。今さら見たくないし、取り壊されていたら嫌だなと思い、駅への足取りを早める。しかし、また悶々とする。しばらく、歩き続ける。そして、ふと久しぶりに行ってみるか、と突然右に曲がり、線路を越えて遠回りをして帰ることにする。見たいような、見たくないような気持ちになりながら。
(山口)
2014.10.05